第4章「合同結婚式で渡韓した『日本人妻』たち」の部分に関する感想です。
旧統一教会(家庭連合)における合同結婚式では、韓国人男性と日本人女性のカップルを「韓日祝福」と言います。本書では韓日祝福で嫁いだ日本人女性にもインタビューがなされており、彼女たちの信仰に基づく韓国での生活が綴られています。
私は信者時代、国内外の活動の現場で、韓日祝福を受けた日本人女性たちにたくさん出会いました。個人的に思い入れの深いテーマです。
渡韓した「日本人妻」の信仰的結婚生活
この部分の結論もやはり「実際に現地を取材すると、日本の報道がいかに偏向に満ちたものであるか分かった。信者はマインドコントロールされているとも思えず、みな自分の意思で信仰している人たちだと感じた」というものです。
韓日祝福の背景には「国や民族間の恨みを超えるには、結婚を通して’家族’になるしかない」という教祖の教えに基づいた信仰的な理念がある。だから現地に渡ったのは、あえて’困難な結婚’を選択した人たち。直面する悩みや葛藤も「神様が与えた試練」として信仰的に乗り越えている。
韓国では統一教会の日本人女性信者に対し非常に良いイメージがあり、孝行嫁として表彰される人もいるほど。だが、農村部の男性の結婚相手が不足している問題で、特に1995年の合同結婚式の時、結婚目当てで入信し暴力など問題を起こす人が多く出てしまった。
でも現在はそういう人は入ってこないし、ミスマッチがあったら別の伴侶を紹介するという対応を教団は行っている。ただし中にはそうしたミスマッチすら信仰的に受け入れ「神様の与えた試練として乗り越えていくる方もいる。
――このようなことが綴られています。
「美談」で済む話ではない
以上を読み(韓日祝福がテーマの本ではないからやむを得ないとはいえ)自身も日韓祝福の経験がある’背教者’として、本書では韓国祝福のごく表層の部分しか触れられていないように感じました。
現役信者の視点で書かれたルポルタージュなので当然かもしれませんが、一連の話がなんとなく’美談’として、きれいにまとまっている印象を受けます。
しかし実際は、それほど単純に片付けられるようなものでもありません。
また、マイナス面についても少しだけ触れられてはおりますが、ごく浅くなぞった程度です。しかし、これらは非常に深刻な問題であり、サラリと通り過ぎて良い問題ではないとも思います。
韓日祝福による被害の実態
本書に先行し、実際に韓日祝福を受けた宗教2世の女性によるノンフィクション小説「カルトの花嫁」1が刊行されています。1995年の合同結婚式(36万双)に参加された方の手記です。韓日祝福を受ける経緯や実際に家庭を持ち韓国へ渡った後の壮絶な実態、洗脳が解け自分自身の人生を歩み出す壮絶な過程が、赤裸々に綴られています。
これほどの苦労を乗り越えなければならないほどの信仰とは、どれほど困難なものなのだろうかということを、読みながら痛感させられるものです。
また、韓日祝福を巡っては「春川事件」2とよばれる、とても痛ましい事件が起こっています。本書「潜入 統一教会」では一切触れられていないのですが、この事件の当事者も1995年、問題の多かった36万双韓日祝福を受けた方と思われます。
今は「露骨に結婚目当てという人は合同結婚式に入れないようにした」し、ミスマッチがあれば教会がサポートしていると、本書に出てくる現役信者は話します。
しかし、過去のマッチングで結ばれた家庭に生じた問題に対し、適切なケアや被害回復は十分になされていたのでしょうか。
自分の結婚を神に捧げられるのか
そもそも、自分の結婚そのものを、宗教団体の教祖や教会に委ねるということ自体、極めて特異なことです。単に結婚式をある宗教儀礼で行うというものとは、次元の違う話なのです。
現在の家庭連合の合同結婚式は、双方が結婚前にしっかり交流をもつ、一般的なお見合い形式になっているとは聞きます。しかし私自身の時も含め、ある一定の時期までは教団や教祖による配偶者マッチングを断るなんてことは実質的に不可能であり、基本的にタブーだという雰囲気は確かにありました。3
しかも韓日祝福の場合、対立感情が渦巻く国の人同士の国際結婚。大きな歪があるのを承知の上で結婚するのです。その困難を乗り越えようとする’信仰’なるものは、一体どれほどに強固で、崇高で、悲壮なものなのでしょうか……。
私の体験した日韓祝福
私自身の話も、書ける範囲で書いておこうと思います。20代の頃、教会に推薦され、言われるがままに韓国の方と日韓祝福4を受けたことがあります。
自身が日韓祝福を通して’主の国’韓国の血統に連なり、それが歴史的な罪や両国の恨みを晴らしていく道であり、また信仰2世として親の苦労に報いたいという思いだけでした。肝心な相手のことも、自分自身のことも何も考えず、ただ宗教的理想で、教会から与えられるままに受けたことを思い出します。恋愛はおろかお見合い結婚とも程遠い、特殊な概念のものでした。
結果的に関係解消とはなりましたが、理想を成すには抽象的な宗教的信念だけではダメなんだという、至極当然のことに、この時初めて気付いたのです。自分でもちょっと信じ難いのですが、当時は本当にこれくらい浮わついていたのです。
結果的に、相手との方の貴重な人生の時間を浪費させることになったのは、悔やんでも悔やみきれません。
反面、当時はまだ教祖が健在で、とにかく様々な指示や命令が次々と降ってくる中、自分や家族の生活のことなんか考えていられなかったというのも事実です。
今はもちろん違うでしょうが、かつての合同結婚式とは、こういう熱狂なのか混沌なのかよく分からない中で営まれていた’摂理’(教団ムーブメント)の1つだったと私は思っています。ある程度の年代の当事者(元・現役問わず)であれば、このことに同意していただける方も多いのではないでしょうか。
次回予告―韓日祝福の本質に迫る
長くなってしまったので、2回に分けたいと思います。
本書「潜入 旧統一教会」では、「日本のメディアは統一教会’問題’の本質を報じられていない。”騙された”とか”洗脳された”と、極めて雑に片付けている」と問題提起します。5
本書は現地ルポとして丁寧に取材されているとは思いますが、韓日祝福の問題についていえば、やはり本質にはほとんど迫れていないというのが、いち’背教者’であり日韓祝福当事者としての率直な感想です。
そこで次回は、本書とは別の書籍「これだけは知っておきたい 統一教会問題」も参照し、もう少し韓日祝福について迫ってみたいと思います。宗教社会学者の中西尋子氏による韓日祝福の研究内容が記載されており、更に深い分析がなされているものです。