このツイートは、宗教2世問題に対する私のスタンス表明です。
最近「宗教2世問題」を問題視する論調を頻繁に目にするようになりました。それらの主張の核心をひとことでまとめてしまうと「宗教2世は被害者というイメージに偏って捉えられ過ぎている」というものです。
「宗教2世問題」の何が問題なのか?
こうした論調をもう少し詳しくまとめると、以下のような内容になると思います。
- 報道に関して。宗教2世の被害面と被害者の語りばかりが取り上げられてきたが、そうではない当事者の声1がかき消されている
- 「宗教2世=被害者」という論調は、現役信者や宗教に対する偏見や差別を助長する要因になる
- 「宗教2世」の定義が曖昧。被害を訴える人だけでなく、そうではない2世のことも考慮し、個別の事例に配慮して慎重に検討すべき
私が見た限り、これらの論者が「宗教2世」当事者であるケースが大半。ただし、著者自身が宗教にまつわる被害を受けたという自覚が少ない、もしくはほとんどないように見受けられます。
そしてこれは私自身の境遇と、とても似ています。
私もいわば「宗教2世」の端くれですが、親から無茶苦茶な抑圧を受けた記憶もなく、出身教団に対する強烈な被害感情はありません。
にもかかわらず私は「宗教2世問題の話が被害者に偏っているのは問題だ」という彼らの考え方に、どうしても賛同ができません。
それどころか仮に現役2世信者や「幸せな」2世の声が相対的に小さくなってしまったとしても、どこまでも被害者と被害面にフォーカスして語られるべき問題であるとさえ思っている者です。
見過ごされてきた社会問題
なぜか。
人の尊厳や生存さえ脅かしかねない程の深刻な被害を「宗教が」生み出してしまったという現実を、「痛み」を伴う形で実感してしまったからです。
ここで、宗教2世の抱える具体的な「痛み」の例を挙げてみます。以下は毎日新聞によって取材された生の声が収録された 『ルポ 宗教と子ども』から事例をピックアップし、まとめたものです。(※強調表示は本記事筆者による)
- 結婚・恋愛の規制・性の束縛
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- 仲良しの男子生徒と帰宅すると、玄関に母親が待ち構えていた。頬や肩を何度も叩かれ、はさみを向けられた。「あなたには霊が100個も200個も取りついている。長い髪は男を惑わす。切りなさい。」
- 高校の時、教義上タブーとされている男女交際をした。深夜、目を覚ますと、枕元に母が無言で包丁を握っていた。
- 「将来は教団が選んだ相手と結婚し子供を産んで幸せな家庭をつくりなさい」という教えが重荷だった。小学5年生で初潮を迎えた時、「子どもを産める体になってしまった」と恐怖感にとりつかれた。
- 子どもの頃から、母を喜ばせたくて教会に通った。教団の選んだ相手と結婚することが唯一の幸せの道だと思っていた。10歳年上の外国人男性を紹介され落ち込んだが「断ったりしないよね」と母にクギを刺された。真面目な信者だと思った夫は、実際は結婚目当てで入信した人だった。酒に酔って暴言を吐くようになり離婚・帰国した。
- 戒律と「排斥」
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- 教団の戒律を破ったことが発覚し「審理委員会」にかけられる。長老の「悔い改めますか」という問いに「いいえ」と返答すると「排斥」を言い渡された。教義に従い、信者である他の家族は最低限の会話しかせず、父親には「これならお前が死んだ方がましだった」と言われた。街で他の信者に会っても徹底的に避けられ、まるで犯罪者になったような居心地の悪さを感じた。
- 成人後、離婚の報告のため実家へ帰省すると母親は悲鳴を上げた。洗濯物をたたもうとすると「触らないで!」と叫んだ。
- ネグレクト・借金・経済的困窮
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- 母が突然「2週間、海外へ修行に行く」と書き残して消えた。下の弟妹の世話や家事を一手に引き受けた。
- 自立するために貯めていたアルバイト代を献金目的で差し出すよう言われた。「あなたのためだから。家族のためだから。」既に母は生命保険・学資保険も解約し総額8,000万円もの献金をしていた。
- 「うちは貧乏だから」が母の口癖。風呂は2日に1回。服も数日着ないと洗ってもらえず、一週間同じ格好で登校したこともある。頭にふけがたまり「汚い」とからかわれた。
- 学用品を買いたいとせがむと「なんでお年玉をためなかったのか」と詰られた。
- 「祝福の為に必要だから」と消費者金融に連れていかれて借金をさせられた。
- 無断で自身の名義を使われ、勝手に借金をさせられていた。
- 身体的虐待
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- 教団の集会で居眠りをすると母親にガスホースで鞭打たれた。
- (※親の証言)わが子を鞭打った。当時の信者らの口癖は「むちが足りない」だった。疑問をぶつけたが、長老は「たたかないことは、子どもを憎んでいることになる」と指導した。成人後、子供は許してくれたが、虐待をしてしまった事実は変わらない。この罪を一生背負って生きていく
率直に言います。
冒頭で述べた「宗教2世問題を問題視」する論者の方々は、こうした生々しい被害の実態を軽視しているように思います。
「被害は深刻だ。しかし……」などと通り過ぎてしまわず、被害のもたらす「痛み」と「重み」に深刻に向き合わねば、議論を先に進めることはできないと思います。
宗教が絡むという「重み」
またもう1つ、彼らの主張の大きな特徴は「教団の所業と責任」について、ほとんど何も言及がないことです。よく「宗教2世問題」は家庭問題・親子問題と同一視されますが、家庭・親子の隙間に入り込んだ宗教による負の影響こそが「宗教2世問題」の一番のポイントであるにも関わらず、です。
「宗教2世」が大きく注目される契機となった、山上徹也さんとその家族のケースで見てみます。
安倍元首相を銃撃した山上徹也さんのお母さんは旧統一教会の現役信者です。彼女は“救い”を求めて宗教活動に没頭し、そのことが却って悲劇を生む原因になってしまいました。
いつも不安げにソワソワしながら教会から与えられる献金目標の達成なり先祖解怨なりを達成すべく、無茶苦茶な金策・勧誘などの活動に勤しむ。時にはぷいと海外に行ったきり帰ってこない。そういうことがもとで夫や家族・親戚とトラブルを起こして孤立する……。
なぜそうまでして宗教活動に入れ込むのかと問えば「良い家庭を築くため」という。それなら何よりまず教会を脱会するのが先決なのでは?と問われると「人間は神様のもとに帰らなければいけない。それには教えを離れてはいけない」と……。2
一般的には理解が難しいものですが、こうした思考は山上さんのお母さんに限らず旧統一教会婦人信者の典型的な思考パターンです。家族や自身の課題解決(“救い”)のためにやっている宗教活動によって、かえって課題を増幅させる。けれども、神仏やあの世といった超越的な観念に対する「信仰」であるがゆえに、それを否定することができない。
超越的な観念を用い、人の身心と「いのち」を教導もしくは「統制」する宗教教団には、他の営利組織や社団等とは桁違いの責任が伴う。
一部の宗教教団が、その組織文化や活動といった構造によって、信者とその家族に苦しみと悲しみをもたらしてしまったということは、深刻で重大な社会問題です。
そこに焦点を当てない「宗教2世問題」は、はっきり言って「論外」だとさえ私は考えます。
私の宗教的体験
私自身の体験について、もう少し書いてみます。
先に述べたように、私には教団による被害の自覚が、ほとんどありません。もちろん教団の方針に翻弄されたり親の教団活動によるマイナスの影響を受けたりしたものの、10~20代という人生の出発点を過ごした大切な時間であり、多くの幸せな思い出や人間関係を築きもしました。
また(その対象は事実上の現人神ではあっても)信仰による精神的涵養の「型」を経験した点は、40代になった今、決してマイナスに作用するものではありません。
今、私がとても辛く「罪」だとさえ感じることは、自らが謳歌してきた「信仰生活」の陰で、抑圧と侵害によってもがき苦しみ、涙する「宗教2世」の仲間たちの姿があったこと。そして、いくつもそういう事例があると知っていたのに「仕方のないこと」として真剣に向き合って来なかったこと……。それでいて現役信者時代は「信仰者」「宗教者」のつもりでいました。
2022年7月8日以降、そんな自身の欺瞞的な姿がくっきりと目の前に立ち現れてきました。蓋をしてきた自身の過去が一気に眼前に迫ってきて、一時は深刻な精神的混乱状態に陥ってしまいました。
幾度かの精神的な危機状態を経た後、現在はある程度落ち着きを取り戻し、冷静に過去に向き合おうとすることもできるようになりました。それは過去の自分を悔い続ける道でもあり辛さは伴いますが、無条件に教祖に帰依して焦りや不安で消耗していた現役信者時代より、心ははるかに落ち着いている。
ああ、もしかしてこういう境地が「宗教」ではないのだろうか。
そんなことを思いながら、こうした発信活動を行っています。
「宗教2世問題」の話を原点に戻したい
ここまで「宗教2世問題が被害者に偏り過ぎている」と問題視する論調に対し「それでも私は宗教2世問題を、被害者中心に捉えるべきだと思う」ということを、自身の背景を含めつつ表明してきました。
参考にした識者の見解
この思いを言語化するにあたり、宗教社会学者の塚田穂高先生および評論家の荻上チキさんのご著書・論考を参考にさせていただきました。
いずれも宗教2世問題を社会問題として捉え、その被害性に焦点を当てるべきという主張をなされています。3
もちろん「幸せな2世の声」を否定するわけではなく「宗教に対する社会の差別・偏見」の問題4もありますが、より優先されるべきは「宗教2世」の被害面であり、教団の所業に対する責任追及であるべき。
私は、このように考えています。
声を上げた「宗教2世」たち
この記事の執筆中に大きなニュースが飛び込んできました。
旧統一教会への集団交渉に、初めて「宗教2世」が加わった、という報です。
同じ旧統一教会2世のトンセン(弟妹)たちが、大きなリスクを冒してまで声を上げざるを得なかった気持ちと、今後待ち受けるであろう困難を思うと、私は胸が押しつぶされそうです。
ポイントは「教団が信者2世をどのように扱ってきたのか」「2世とその親は、教団の指導の影響をどの程度受けてきたのか」であり、そこから「宗教2世」の被害性が析出されることになるでしょう。今回声を上げた旧統一教会に限っていえば、それを検証するための教団資料5や当事者の手記6もあり、検証は十分可能ではないかと私は考えます。
今一度「宗教2世問題」の話を原点に戻したい。
彼らの勇気ある告発を受け、こうした私自身の思いを表明し、筆を置くことといたします。
- 信仰によって「幸せ」を感じている「宗教2世」等が考えられます ↩︎
- 《独占直撃100分》安倍晋三元首相銃撃犯・山上徹也の母(71)が明かした息子への思い「出廷は本人のため」「(マスコミは)あほちゃう?」 (週刊文春, 2024年5月2・9日ゴールデンウイーク特大号, pp.14-17) ↩︎
- 『だから知ってほしい「宗教2世」問題』 第1章『「宗教2世」問題の基礎知識』(塚田穂高 著)
「宗教2世」当事者1,131人への実態調査』報告書、および書籍『宗教2世』に対する反応へのお礼と、書評に対するレスポンス – chikilab-ac ページ! (sra-chiki-lab.com) etc. ↩︎ - この点について塚田穂高先生は「社会の側が改めるべき問題であって『宗教2世』側が追う必要はない」と述べておられます(『だから知ってほしい「宗教2世」問題』 p.27) ↩︎
- https://x.com/InsaengMwoisseo/status/1806824042151960677 ↩︎
- 特に『祝福二世』(宮坂日出美, 論創社, 2023)には、旧統一教会が2世信者に施した教育の実態や旧統一教会における「宗教2世」の意味合いが、かなり克明に描かれています ↩︎