“脱・血統”論――統一教会の核心教義からの解放

10年来、温め続けてきたテーマについて書き始めようと思います。

あの日、目から鱗が落ちるようにして、統一教会の教義による呪縛が一瞬で解ける体験をしました。ほどなくして、自分を縛っていたものは「血統」という教義であったことに気付きました。その時「いつか必ず『脱・血統論』を書こう」と心に決めました。

目次

「脱・血統論」とは

安倍元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会(世界平和統一家庭連合・以下「統一教会」とします)は急速に注目を集めました。しかし、世間の関心は「高額献金」や「霊感商法」、そして「宗教2世」の問題に集中しがちでした。もちろん、これらは重要な問題ですが、背後にある信者の信心、そして「血統」については、深く触れられていないように感じます。1

なぜ統一教会の信者たちは、生活が成り立たないほどの献金を捧げ、恋愛や結婚においても厳しい制約に従い、2世2たちは苦しむのでしょうか?

この問いに対する答えは「血統」の教義にあります。

この教義が信仰の核であるにもかかわらず、その影響は外部からは見えづらいばかりか、信者自身でさえ、この「血統」の教義を本当に理解し、納得しているのか疑わしいことに、私は気付きました。

「脱・血統論」は、統一教会の「血統」という教義が何であるか、どのように信者に影響を与えるのか、そしてどのように解放され、解放後の人生をどう構築するかといったテーマを、私自身の経験も交えながら考えていくものにしたいと思います。

何のために書くのか

「血統」は、信者に救いや恩恵をもたらす側面もある一方で、実際には多くの信者が心身、そして「いのち」に対する苦痛を感じてきました。

教祖・文鮮明が唱えた「地上天国」は、到底、実現の見込みがあるとは言えません。「地上天国の実現は近い」と言いながら人生を教団に捧げてしまった1世信者たちと、そこに生まれた2世には、生活の問題・社会との葛藤そして精神的な苦痛のみが残される。そんな未来は、もう目の前に迫っています。

それでも信者たちは、信仰から離れた場合、永遠の救いから外れるという恐れを抱き、教義に縛られ続けています。そして「神の子」とされる信者2世にとっては、教会や教義・教祖を否定することが自身の根幹を否定するかのような感覚になることは想像に難くありません。

これを私は「血統の束縛」と捉えています。

統一教会の信者・2世であることから生じる苦しみから解放される第一歩は、その「血統」から脱すること、つまり「脱・血統」というプロセスが必要になる。

そのための考え方の一端を提示するものとして「脱・血統論」を書いていきたいと思っています。

誰に向けて書くのか

「論」と称しますが、私に体系的な論考を書ける素養は全くなく、実質的にはいち当事者による主観的な考えの羅列に留まることになるでしょう。それでも、過去の私と同じように統一教会の信仰に揺らぎが生じつつも「堕落」の恐怖を感じてモヤモヤしている方に届くものであってほしい。今までとは違う視点で統一教会とご自身のことを考える契機になればと願っています。

また、支援者や一般の方にとっては、統一教会の信者がおかれている束縛の実態を理解し、当事者サポートや研究の参考となることを願います。いち当事者の手記のような形でありながら、なるべく具体的な根拠や出典を付し、少しでも「論」に近いものを作り上げていきたいと思っています。

反対に、統一教会の信仰を納得感をもって続けている信者の方にとっては、この「脱・血統論」ほど不快で受け入れ難い主張はないでしょう。今はこれ以上、読み進めていただく必要はないかも知れません。でもいつか、「脱・血統」が必要になった時に読んでいただければ、こんなに嬉しいことはありません。

統一教会の教義と「血統」

イントロダクションとして、まずは統一教会の教義と「血統」についての概略を記します。約25年間信者であった私なりの表現であることをご了承ください。

堕落・再臨のメシヤ・天宙復帰

創造主である神は、自らの姿かたちに似せ、自らの実の子として人類を創造しました。人類が個性を完成し、男女が一組の夫婦となって子を産み家庭をなし、森羅万象の主人となることで、愛と喜びに満ち溢れた世界ができるはずでした。

ところが、人類始祖のアダムとエバ(イブ)は、蛇(サタン)の誘惑によって神の戒めに背いて「堕落」し、そこから人類に「原罪」が発生しました。この「原罪」は「血統」を通じて子々孫々に遺伝するものとされます。
悪と罪にまみれ「サタンの血統」を繁殖し続ける人類を、親なる神は何とか救い出そうと苦心の末、ついに地上に「再臨のメシヤ(救世主)」を送ることに成功しました。その「救世主」こそが教祖・文鮮明です。

幾多の苦難を経て、彼は「真の父母」となり、人類を神の元へ返す方法を確立しました。これが「合同結婚式」で知られる「祝福」とよばれる血統転換の儀式です。
この一連の儀式を経た夫婦は、人類始祖から連綿と受け継いできた「原罪」が清算され、本来の「神の血統」へと転換されます。これが統一教会における「救い」の根幹です。
また、そこから生まれた子女が、生まれながらに神の血統を持つ「神の子」「祝福2世」となります。

「神の血統」に転換された人たちが家庭を築いて子を産み増やし、孫、ひ孫……と拡がることによって、やがて世界は「神の血統」を持つ人ばかりの「地上天国」となります。そこで善く生きた人間が肉身の生を終えて霊界(あの世)に行き、神とともに永遠に幸せに暮らすようになる。

これを「天宙復帰」といい、統一教会の信仰の究極的なゴールとなります。

「血統」の束縛

「血統」は宗教的な「救い」や「永世」そして神や「真の父母」(教祖夫妻)との揺るぎない繋がりを担保する核心ですが、一方で教祖や教団への服従・隷属の根拠として信者を強く束縛する面も存在します
また「祝福2世」にとって、「血統」は“出自”の根拠といえるほど重大なものとなり、本人の意志を超えた部分において様々な影響をもたらしていると考えられます。「血統」の教義は、単なる宗教的な教えではなく信者の人生そのものを支配する概念といえます。

実際、祝福(血統転換)という救いの恩恵を賜るためには、原則として献身や高額献金などの厳しい「条件」が求められます。かつてはマイクロによる物販(万物復帰)や伝道勧誘によって3人以上の信者(霊の子)の獲得といった条件が課されていました。

そして特に「祝福2世」にとって「血統」は重大なものです。彼らは親の信仰の証として、生まれながらに「神の血統」を持つため、これを「純潔」で守り後代へと繋げることが求められます。これが「宗教2世」の葛藤として知られるようになった「恋愛禁止」「結婚の制限」等の原因となります。
また「信仰2世」とされる信者2世3の場合、同じ2世でも教義上は「サタンの血統」をもつことになり、「神の子・祝福2世」との事実上の身分差を意識せざるを得ない局面も多々あります。また本人に信仰がない場合でも、親の無茶な教団活動によって負の影響を受け、理不尽な苦悩を味わうケースも存在します。

これらは事実上「血統」を根拠とした教団内身分制度といえるものです。これが自己肯定感や誇りに繋がる場合と、心理的・社会的束縛として作用する側面もあります。

心理的影響

教義に基づく「血統」という概念は、信者に強い自己否定感や罪悪感を抱かせます。もともと「サタンの血統」をもつ穢れた存在である私は、人類史上初めて「神の血統」に繋がる恩恵と恩赦を賜った身。その恩恵に報いるため、命を懸けて教祖と教団の願いを果たすべき存在となります。万一その使命を果たせなければ、また元のサタンの影響下におかれる「堕落圏」に逆戻りしてしまうという恐怖感となります。

社会的影響

「血統」による制約により、特に結婚や家庭における信者の人生に大きな側面に影響を及ぼします。祝福結婚に従うために家族や恋人との関係が壊れたり、教団の要請(=「使命」)に従って借金をして多額の献金を捧げたケースも少なくありません。また「神側の血統」であるという優越感や選民意識を抱くことで、非信者や外の世界と間に壁を築き、世間との対立や内閉化の原因にもなると考えられます。

「血統」からの脱却

では、どうしたら「血統」の呪縛から脱却できるのか。現時点の私には明確な答えはありませんが、次のような点を軸にしながら考えていきたいと思っています。

束縛の仕組み

統一教会の教義は教祖・文鮮明が解明した絶対の真理とされています。したがって「血統」は疑いの余地のない絶対的な概念(もしくは実存)となるもので、信者や2世のアイデンティティを強く教義に依存させるものといえます。

また、教団活動や組織に従順であることが「絶対服従」として信者の価値を示す手段とされ、疑いを持ったり逸脱することは「堕落」と見なされます。

こうしたことが、教団と信者にどのような効果をもたらすのかを考えていきたいと思います。

離脱の過程

ここは私自身の経験が主な土台になる部分です。教団が描いていた理想とあまりにかけ離れた方向に行き、あちこちで苦しむ信者たちの姿を目の当たりにして教義を疑い始めたとき、大きな葛藤と逸脱への恐怖を感じました。

しかし、「人間は堕落していなかったんだ!」と気付いたことから一気に束縛から解放される「逆回心」ともいえる体験を果たしました。このことを詳しく述べてみたいと思います。

脱却後の変化

教義から解放されると、虚脱感とともに「自由にしていいんだ!」という解放感が得られました。その後にどのような視点で世界が見えてきたのか。人間関係も「血統」に縛られず、自然で自由なものに変わり、自分の価値観を主体的に築くことができるようになりました。

ここも私自身の事例がメインになると思いますが、もっと広い視点から事例を探してみたいと思います。

脱・血統論の意義

統一教会の「血統」は信者と2世を支配し、束縛します。残念ながら、教祖と教団はこの構造を利用し、特に日本信者から長年にわたって「搾取」と言われても仕方ないような金銭的・人的要求を行ってしまいました。それらは裁判で明らかになっているものもありますが、未だ知られていない多数の被害の実態があることは間違いありません。

「脱・血統論」を通じて、教義の束縛から自由になるための道筋を示すとともに、一人ひとりが自らの人生を納得感を持って再び歩み出す力を取り戻せるよう願っています。また、心ある支援者の方に統一教会問題の核心を知っていただき、支援に加わっていただくことのできる契機となれば、これほど嬉しいことはありません。

時間をかけてでも、なんとか書き続けていこうと考えています。


  1. 政教分離の問題 ↩︎
  2. 以後、特別な断りのない限り「2世」には3世以降の世代も含みます ↩︎
  3. 教団の定義によると、両親、または片親が統一教会の信仰をもつ子女が「信仰2世」となります。かつては「ヤコブ」とも呼ばれました ↩︎
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ 宗教ランキング

Author:

田村 一朗(仮)のアバター 田村 一朗(仮) HN: インセム(인샘)

旧統一教会(世界平和統一家庭連合)
2世元信者 信仰2世(ヤコブ)

この教団に長く身を置いてしまったことを悔いています。統一教会とは何なのか。なぜ信じたのか。この教団は日本社会にどんな影響を与えたのか。問い続けていきたいです。

目次