2024年1月27日、「信仰のない統一教会2世」であるTKMT氏によって「翻訳の剽窃疑惑」と銘打ったnote記事が公開されました。
この記事は『統一教会―性・カネ・恨から実像に迫る―』(櫻井義秀, 中公新書, 2023)(以下「本書」と表記)についての様々な問題点を指摘するものとして、満を持して公開されました。
しかし、それを拝読した私、田村は、拍子抜けのあまり、ついこのようなツイートをしてしまいました。
本日、TKMT氏による記事公開からちょうど1年が経ちました。私のような者は氏にとって最も望まない第3者であろうかとは思いますが、「応答」という形で本記事を公開いたします。とはいえ正直、本人の目には触れてほしくないという思いも半分くらいあります。
ただ、本件を通じ“「信教の自由」の副作用”という観点も主張したいと思いますので、拙い文章ですが多くの方にご覧いただければ嬉しく存じます。
TKMT氏記事への批判
TKMT氏の記事では、冒頭、主に次のようなことについて記すとしています。
著者の櫻井氏が、個人ブログの翻訳を剽窃したことが疑われる箇所について指摘したい。さらに、不適切な引用、誤植、事実誤認等のその他の問題点も示す。
櫻井義秀『統一教会』(中公新書)における翻訳の剽窃疑惑とその他の問題点について|TKMT / 信仰のない統一教会2世 (note.com)
この他に、本書を高く評価した宗教学者の島薗進氏への皮肉のようなものが「蛇足」として綴られてもいますが、肝心な「『性・カネ・恨』から迫った統一教会の実像」という、本書の主要な内容に対しての指摘が、全くと言っていいほどありません。
更に、氏が「翻訳の剽窃」として一生懸命お示しになられた箇所も、本書の内容においてさほど重要な部分とはいえないもので、1これは一体何の目的でこんな長々と書いたのか、というのが、私が初めて記事を拝読した時の率直な感想です。
指摘・異論・反論がほしかったところ
私としては、TKMT氏がTweetで予告していたこの記事を、結構緊張しながら、しかし一面で楽しみにしながら待っていたので、拍子抜け感がひとしおでした。
以下に、私が本書のどの部分に対して指摘・異論・反論があると思ったのか、また、ほしかったのかを記します。
宗教学者・島薗進氏の評価ポイント
記事の中でTKMT氏は、宗教学者の島薗進氏が本書を高く評価しているという事実と該当レビュー記事へのリンクを掲載してはいます。しかし島薗氏が何をどう評価したのか。それに対して自身がどう考えるかといったことについて、ほとんど触れていません。
ですので、大変僭越ながら、島薗氏が本書を評価されているポイントを、私なりにまとめさせていただくことにしました。2
- 第一章「メシアの証し──文鮮明とは何者か」
-
- 性による罪、性と血統転換
- 日本の植民地統治と「恨(ハン)」
- こうした信仰が、日本でこそ多くの信徒を得るに至った理由
- 第二章「統一原理と学生たち」
-
- 当時激しく対立していた左派学生運動との対比
- 後に教団指導部となる学生たちの「理念主義と暴力性」
- 第三章「統一教会による人材と資金調達の戦略──布教・霊感商法・献金」
-
- 多くの人権侵害を生んだ献金活動の実態と、その暴力性の要因
- 「活動家が社会生活を経験せず教会幹部になった」
- 「誰も知らないことを知っているというエリート意識」
- 統一教会信者の実践信仰の特徴 1)マゾヒスティックな信仰、2)体験主義的な信仰、3)逃げ場のない信仰
- 第四章「祝福と贖罪──韓国の日本人女性信者」
-
- 「祝福」(合同結婚)によって至上の幸福が得られるという信仰
- 植民地時代の日本が犯した罪に対する悔い改めの意識等
- 第五章「統一教会の現在と過去──法的規制と新宗教」
-
- 「青春を返せ訴訟」の重要性(信仰活動そのものが当事者の信教の自由を奪う違法性)
- 刑事事件による解明がなぜ2000年代後半までなかったのか
これこそが本書の主要な内容であるにも関わらず、これにTKMT氏は、ほとんど触れていません。3
氏は記事中で「私の大切な家族や友人の信仰を尊重したい」と表明しておられます。私も元信者ですが、櫻井氏によるこれらの指摘は信者にとってはプライドがズタズタになるほどの辛辣なものです。なぜ、ここに反論してあげないのでしょうか。
田村一朗が注目した点
それこそ「蛇足」ですが、この記事を書く私が、特に興味深いと思ったのは、主に以下の箇所です。
- 第三章・三 勧誘・教化の過程と回心のメカニズム
- 第四章・三 祝福家庭の実態とジェンダー不平等
- 第五章・三・Ⅳ 被害救済の道筋
①は「違法伝道」と認定された勧誘・教化の過程が順を追って詳しく述べられています。②や③についても、私の現役信者時代の体験と照らし合わせても納得の内容ばかり。
そして特に「おおっ!!」と思ったのは、本書の図表です。以下は、統一教会問題を学び、また他者に説明する上において「こういうのが欲しかった!」と思ったものたちです。
- 図3-1 統一教会事業部門の組織図
- 図3-2, 3-3 教会の組織図の例
- 図3-4 統一教会全国の売上金額
- 図3-5 ’90~’10代の献金一覧
- 図5-1, 5-2 関連訴訟・刑事手続き一覧
特に④、統一教会でによる「エンドレス献金」とも揶揄される「K(献金)摂理」の一覧表は非常に重要です。名目・金額・時期が一覧になっており、私が親を通して見てきた実情と、ほぼ一致するものばかりなのです。この教団がどのように献金を信者に要求してきたのかが分かり、その異常性や不当性がよく分かる点で、たいへん画期的であると思います。
この辺りはもう反論のしようもない部分ではあると思いますが、TKMT氏の捉え方も聞いてみたいところではあります。
TKMT氏の「計算」
以上のような「『性・カネ・恨』から迫った統一教会の実像」というサブタイトルにあたる内容に対しての指摘は、TKMT氏の記事ではほぼなされていません。ただ最後に「機会があれば」論じてみたいとして、以下の内容を挙げています。
本来ならば、統一教会の教義や信仰実践に対する一方的な悪意のある解釈、著者の立場性(自覚的に反カルト運動のプレイヤーとして動いていること)を明らかにしない不誠実さ、日本在住の統一教会現役信者には聞き取り調査を行っていない欠陥、韓国朝鮮の文化(「恨(ハン)」など)についての通俗的な誤解、論争的な「事実」に対する慎重さの欠如、ほぼ間違いなく参照し論を立てる上で大きく依拠したであろう研究を参考文献に挙げていないこと等の内容を指摘し、主張の中身、研究方法の妥当性に踏み込みながら実りある議論を展開したかったところである。残念ながら、本書にはそれ以前の問題があまりにも多く、本稿では論じることのできなかった部分が多々ある。また機会があれば、これらについても論じたい。
櫻井義秀『統一教会』(中公新書)における翻訳の剽窃疑惑とその他の問題点について|TKMT / 信仰のない統一教会2世 (note.com) 「最後に」
なぜ、これを先に論じないのでしょうか。氏のいう「それ以前の問題」自体は、特にこれらの議論の障壁とはなり得ない部分です。何より、先に指摘したように「大切な家族や友人の信仰を守る」のであれば、もっと優先的に反論すべきことは多いはずなのに。
ようは、今の「言論状況」では、いくら正面から内容の具体的な主張をしても、どうせ「『カルト』とされる側」4の言うことなんか相手にされないだろう。だからまず「告発」のような形で櫻井氏本人なり学会なりを揺さぶり、応答せざるを得ないような状況に持ち込もう、という「計算」がある、とのこと。私はそう解釈しましたが……。
「攻撃」になってはいないか
そうだとして、しかし、この「計算」は裏目に出てしまったようです。本人の真意がどうであれ、あまりにも「攻撃」の姿勢が前面に出過ぎています!
実際「記事公開後の追記」を見ると、TKMT氏はこの「疑惑」について各所に問い合わせを行っているものの、望むような回答は得られていないようです。5これについてTKMT氏は「あたかも不当な圧力のように」捉えられたと認識しているようですが……正直「圧力」と取られても仕方ないです。
なぜかというと、まず、私がこの記事で指摘しているように、具体的な内容に対する反論ではなく、いきなり本筋とあまり関係ない部分の「疑惑」なるものを、あたかも捻り出すかのように見つけ出しては皮肉に満ちた調子で書き連ね、しかもTwitterに「嫌味」なのか「批判」なのかよく分からない形であれだけ頻繁に、執拗に投稿をしていれば、それは相手には「圧力」だと取られても仕方がありません。
しかも、櫻井氏や島薗氏といった実名の相手に対し、TKMT氏は匿名です。私も匿名を使わざるを得ない状況なので、その苦しみやもどかしさは分かるつもりですが、いくら著名人であっても、実名の相手に匿名で否定的な事を伝え、しかも相応の応答を求めるのであれば、そのやり方にはもっともっと注意と配慮が求められるはず。
現に、もしTKMT氏が私のこの記事を読んだら、どう思われるでしょうか。私のような得体のしれない者に長々つらつらと批判され、そのうえ(絶対やりませんけれど)1年近くもSNSで連日執拗に投稿されたとしたら、どうでしょうか。内容が正当か不当かに関わらず「迫害」「圧力」と感じるのではないでしょうか。「怖い」と思わないでしょうか。(TKMTさんこれ読んでいたらごめんなさい🙏🏻1年間つぶやいたりしないのでご安心ください)
辛いけど、考えなければいけないこと
本稿の意図は、言論への圧力をかけることではなく、ましてや本書の絶版や回収等を求めるものでもないということは強調しておきたい。本書の問題点を指摘することが第一の目的であるし、その指摘に応じて言論の場における議論が活性化されることも望んでいる。
櫻井義秀『統一教会』(中公新書)における翻訳の剽窃疑惑とその他の問題点について|TKMT / 信仰のない統一教会2世 (note.com)
悔しいけれど、過去の経緯から、私たちの出身団体が世間にどのように見られているのか、氏はよくご存知のはず。いくら氏が上のように「意図」を強調したところで、このやり方は恐怖感と嫌悪感を与えるものです。こうした姿勢は巡り巡って「大切な家族や友人」、そしてTKMT氏自身をも苦しめることになってしまいます!
もちろん、統一教会の関係者が世間の迫害・差別に晒される現状があることは存じています。差別はいけないし、する方が悪いのは当然のこと。しかし、私たちこそ逆に世間を「差別」してしまった歴史があることも、考えなければいけません。私たちは「非原理世界」なる言葉を用いつつ「復帰する」という思考で社会と関わってきました。そのような教義を信じる「信教の自由」はあれど、6その副作用として世間を差別的に見る姿勢を備えることになってしまいました。
そういう姿勢が露わになった当事者の言動をしばしば目にしますし、約25年間信者であった私の言動にも、そのような部分はあるのかも知れません。
ですので、もしこの件をもしこれ以上追及するのであれば、今までのように氏自身が執拗にTweetで叫ぶのは逆効果です。氏の主張に心から納得し、氏の事情をくみ取り、喜んで代理になってもらえる「友人」を探し立てることが先決です。可能であればその方は当事者“以外”であることが望ましいでしょう。
そして、もし代理の方を立てることができた暁には「性・カネ・恨(ハン)からみた統一教会」という、肝心なテーマについての実りある議論が展開されてほしいと私は願います。
- これを書く私は、正直、TKMT氏が記事で指摘された諸問題に「全く関心がありません」。それより、これによって本書の主題から目を逸らそうとする意図を感じ取り、憤りを覚えています。 ↩︎
- 宗教の名著巡礼 第6回-ウェブマガジン「なぎさ」 ↩︎
- 恨(ハン)については「通俗的な誤解」を指摘したい意向があるとのことですが、その詳細まではやはり踏み込んでいません。 ↩︎
- 私が大変興味深いと思ったのは、TKMT氏が「信仰のない統一教会2世」としての自身を「『カルト』とされる側」に置いている点です。これがどういう意味をもつのかは、これとは別に考えていきたいところです。 ↩︎
- 反攻に出た統一教会 執拗なスラップ訴訟で攻撃(中外日報 24.4.17) ↩︎
- 2世については「信教の自由」すらなかったとする見方もあり、この点も議論が深まる必要のあるところです。少なくとも統一教会「祝福2世」については、およそ本人の「信教の自由」などという概念は微塵もなかっただろうと私は考えています。 ↩︎