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「山上家をよく知る元教会長」の著書から見えること

目次

「元教会長」とは誰か

安倍元首相銃撃事件以降、「元教会長」と呼ばれる人物が、山上徹也さんの母親の献金返還を主導し、現在も母親の代理人を務めていると報じられています。
この人物は事件直後に報道番組に出演1して自身の見解を述べ、週刊文春には「小野大輔」名義でインタビューに応じる2など、メディアへの露出も複数あります。

「元教会長」=和田晋典氏とみられる理由

SNS上では、家庭連合(旧統一教会)に擁護的なアカウントの言及から、「山上家と酷似したエピソードが書かれた本」があるという指摘されました。3
その本は、和田晋典氏による『こころの荷物は愛でおろす』です。

また、山上徹也さんの裁判の記録において、山上さんがメールを送ろうとして送らなかった相手を検察官が「和田さん」と呼んだことも確認されています。4
これらの状況から、「元教会長」=和田晋典氏である、と見てほぼ間違いないと思われます。

この記事では、その前提に基づいて話を進めていきます。

和田晋典氏とはどういう人物か

著書の記述から私が受ける印象として、率直に、その語り方や判断には問題点が多く、安易に信頼するのは難しいという感想を持ちました。

プロフィールの不自然さ

和田氏のご著書『こころの荷物は愛でおろす』に書かれたプロフィールです。

1962年 奈良県に生まれる。
1980年 京都大学農学部入学。アメリカンフットボール部に入学。5
1984年 大学チャンピオン・全日本チャンピオンになる。/卒業後コンピューター会社に勤務。
1992年 結婚。
1994年 技術経営コンサルタントとして独立。/障害者用コンピューターの開発に携わりながら障害者との交流がはじまる。

大きな疑問として、統一教会との関わりがプロフィールに一切記載されていない点があります。
「障害者用コンピューターの開発に携わりながら障害者との交流がはじまる」という文言も、経歴として何を意味するのか、著書との関係があるのかさえよく分かりません。

また、1992年の「結婚」は、奇しくも桜田淳子氏らが参加した統一教会の3万双合同結婚式と同じ年ですが、その関連には触れられていません。

自身の立場を明かしていない

本書の最大の問題は、自身が「統一教会(家庭連合)の教会長」であったことをまったく明かしていないことにあると思います。
また、山上徹也さんのお兄さんと思われる人物についても「上司から紹介された」と記すだけで、その「上司」が一体誰なのか、どの組織での「上司」なのかも一切の説明していません。

自身が「素人」6という言葉も使っていますが、精神医学・心理支援の知識を持たないという意味なのか、何に対する「素人」なのかすら不明瞭です。

「彼ら」を決めつける、見下す表現

本書では、和田氏が「交流」したとする人物を「彼ら」と表現しています。しかしその「彼ら」への記述は、しばしば決めつけに見える表現がみられ、丁寧さに欠ける印象を与えます。たとえば以下のような表現はとても侮辱的なものに感じられます。

では、もし、彼らがまともな善悪基準も持たず、好き勝手な価値観で生きていたらどうだったでしょうか。そうであれば、統合失調症になることもなく、鬱病になることもなかったでしょう。しかし、ネジが切れて犯罪者になり、今よりもっと惨めな人生になったかもしれません。それとも、適当にいい加減に、法律には引っかからない悪を行いながら生きる“普通の人”になっていたのでしょうか?

p.93 (※強調表示は本記事筆者による)

更に、血のつながりのない母子家庭の親子に対する見解を述べている部分においても、そのことが原因で子供に愛情が流れないだろうとしています。その子(「深雪」という仮名。小学校4年生)が「今は精神障害者ではないが、自分の経験上将来的にそうなる可能性がある」7と判断し、次に述べるような過度に親密な関係性を築いていった経緯が記されています。

「交流」相手との過度に親密な関係

和田氏は、この「深雪」に対し、父親代わりになろうと振る舞います。本人の表現では「お父さんでも他人でもない。でもずっと一緒にいてくれる。そんな特別な役目」(p.145)とのことです。そして、そのような存在になっている事について「喜んでしまっています……。」と記しています。(p.146)

その「深雪」と交わしたメールのやりとりが、そのまま載せてあります。

深雪ちゃん。いつも元気にしてますか。仙人は、元気な深雪ちゃんが大好きです。

最初に、大好きメールを送ったときは、嬉しさいっぱいのハートマークが五つ並んで返信されてきました。

今度漢字のテストがあるんでしょ。どんな点数でも、仙人は大好きだよん。だから、最後まで、諦めないでね。

こんなこと、わざわざ言う必要があるんだろうか。と考えてしまうこともありましたが、とりあえず、大好きメールを送り続けました。そのたびに返ってくるのは「がんばらないといけない」というよりは、大好きだといわれて嬉しい、という気持ちのあふれた絵文字入りの返信メール。
そうなると、こちらも嬉しくなるのは、当たり前です。

p.149-150 (※「←」は自身から送信したメールの意。「仙人」は和田氏のこと。)

繰り返しますが、「深雪」は小学校4年生の女性です。自身の立場を明かさないまま、未成年の女性とのメールのやりとりを嬉々として自著に載せてしまうという姿勢は甚だ疑問です

また、本文中「美輪」の仮名で登場する、本書では「統合失調症」とされる女性の方との「交流」エピソードは、まるで恋人とのデートみたいな書きぶりで綴られています。メールとのやりとりもそのまま載せています。8

この「美輪」という方とは「インターネットで知り合いました。」(p.31)と書いてありますが、こういうことを本に書く意図は、一体どこにあるのでしょうか。

さて、ドン詰まってもいられないので、どうするか考えました。そして、すぐに気がついたのが「彼らの家族になれないか」ということです。家族がいないんだから誰かが家族になってあげればいいんじゃないか。単純なことだったのです。しかし「そんなこと、できるんかいな」というのが、実のところで、やはり悩みます。

p.129

和田氏は悩みながらも「交流」相手の「家族」になろうとしていたようです。

いずれにせよ、上記2つの事例をみても、和田氏は支援者としては不自然なほど相手と深く踏み込んでおり、境界線(バウンダリー)が曖昧過ぎるように私は感じます(そもそも和田氏が「支援者」かどうかすらも明らかではありませんが……)

「結婚」と「性」へのこだわり

節々に、「結婚」「性」に関わる表現が登場します。なぜここでこんなことを書くのかと首をかしげたくなるもなるし、正直、私は強い違和感を覚えます。

「和田さんは、統合失調症の人と結婚できますかぁ」
と、電話の向こうから、質問してきました。僕も、頭の中を5秒くらいグルグル巡らせた答えは
「美和だったらいいかなぁ」
今思い返しても、別に気休めで言ったのではなく、その時の正直な気持ちでした。僕はすでに結婚しているから、美和と結婚するという危険性(?)は無いから、と思って言ったのではないかと思います。
僕は、美和に幸せな結婚をしてほしいと願っています。仕事がら、いろんな人に出会いますが、間違いなく、美和は、人格的になんの問題もありません。むしろ「お勧め」かもしれません。 p.30

p.30(※強調表示は本記事筆者による)

「じゃ、その辺で適当に寝ておけや。襲いもせんし

p.69(※強調表示は本記事筆者による)

「僕が常に意識していることで、とっても大切なことがあります。それは、例えばこの深雪の家の場合では「僕は、決してこのお母さん(※未亡人)と恋愛関係になってはいけない」ことです。こんな風にわざわざ書くと、妙に思われるかもしれません。また「当たり前だ」という人もいるでしょうし、そんな堅苦しいこと言わずに、成り行きで、そうなったらいいじゃないの」と言う人もいるでしょう。(中略)彼らと接するときに、恋愛感情に対して特に注意している理由はここにあります。

pp.154-155(※は本記事筆者コメント)

出会ってから、1年後、佳代さんは、とんでもない事件に巻き込まれて、入院することになるのです。その病院の先生が、こんなふうに言っています。 「通常、性道徳にルーズな人は、病院内でも、男性に気を引こうとしたり、ホントにトイレでSEXをする人もいるのですけど、佳代さんは、まったくその雰囲気がありません。だから、ホントにそんな生活環境になかったら、風俗系の仕事につかなかったと思います」 と。

p.164


ただ、和田氏が統一教会の牧師ということであれば合点が行きます。なぜなら統一教会における宗教的な救いの核心は「結婚」と「性」であり、教祖・文鮮明は生前、猥談と見まがうかのような「聖なる性」についての多数の説話を行っているからです。

自己重要感を示す表現

自らの役割や手柄を大きく語る箇所が多く、読者に“自分は重要な存在だ”と印象づけようとする記述が多いように思います。

この日の傘に限らず、美和は、僕の体のことを再三気にしてくれます。「何を食べたのか。古いものは、腐ってたらどうするのぉ」。「ちゃんと、寝るように。ぐっすり眠らないとだめだよ」。メールや電話で伝えてきます。「気にかけてくれてありがとう」というと、決まって、本人は「和田さんにいなくなられると困るから」と応えます。頼られていると嬉しいものです。

pp.24-25

おまけ
僕にこの本を書くことを勧めてくれた人が、この本には「おまけ」が必要だと言いました。さて、何がいいかと考えました。 「この本を買ってくれた方は、僕とお茶ができます。ただし、自分の分は自分で出す」 と言ったら、「それで、いいんじゃないの」ということです。 10万冊も売れたらどうしよう…(爆)。 とも考えましたが、その時はその時で考えます。(^^)v そして、その時に、↓↓↓ここに、僕がサインします。 お茶した印です。[以下、ページ半分ほどの余白]

pp.252-253

そのように感じられる表現は本書内の随所にみられます。

真相究明のためには和田氏こそ出廷すべき

「山上家をよく知る元教会長」和田晋典氏の著書からは、全体として他者への断定的な評価や著者自身を大きく語る傾向が繰り返し見られました。文脈上不要な性的言及が唐突に挟まれることも不自然です。何より、この「交流」を統一教会の教会長として行ったものなのか、また別の立場で行ったものなのかも全く明らかではありません。

少なくとも本書の記述を読む限り、著者の判断や姿勢をそのまま信頼することには慎重にならざるをえません。

ここまで述べてきた点を踏まえると、この人物が「山上家をよく知る」とされる「元教会長」として、返金交渉や家族関係に深く関与しつつ、メディアにおいては「代理人」等として紹介されていることには大きな疑問が残ります。

裁判において、この人物と徹也さんとのメールのやりとりが出てきた様子も窺われるものの、詳細が明らかにされていません。検証が十分に行われないまま結審に進んでいるとすれば、真相解明の観点から問題です。

ですので私は和田晋典氏が証人として出廷し、自らの関与や説明責任を果たすことが必要ではないかと考えます。


  1. TBS「報道1930」2022年9月8日放送-現役信者が語る「幸せな信者が足りない」 ↩︎
  2. 週刊文春 2022年8月11日号 pp.32-35 「小野大輔」という仮名で「元教会長」としてインタビューを受けている。 ↩︎
  3. https://x.com/NwFle6q9vQTXb4q/status/1790034907084750977?s=20 ↩︎
  4. 【裁判全文】そして、「あの日」。絶望と憎しみの果てに「無心で撃った」瞬間【安倍元首相銃撃事件⑧被告人質問⑶】|報道記者が書く裁判全文-傍聴ノート- ↩︎
  5. 「アメリカンフットボール部に入“学”」という表現は原文ママ。誤植でしょうか。 ↩︎
  6. 本書p.8「素人だから思い切って言えるこの内容を読んでくださる人がいることを期待しています。」等 ↩︎
  7. 本書p.138「深雪は精神障害者ではありません。でも、僕の経験からいうと、そうなる可能性のある子なんです。その可能性があるのなら、その可能性を少なくしたいのです。」 ↩︎
  8. 本書「美輪」(pp.19-45) ↩︎

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