2024年2月6日、朝日新聞のスクープ記事です。
ついに出た!と思った反面、教団を知る元信者の感覚としては、ちょっと「意外だな」と思ったのも事実。
旧統一教会信者の信仰マインド
というのは、基本的に「私たちのおかげなのに」という発想は、旧統一教会(家庭連合)の信仰を持つ人にはないものだと思うからです。
たとえ捨てられても、ついて行く
旧統一教会時代から礼拝等の時間に歌う「聖歌」のうち、このような歌詞のものがあります。
3. み栄(さか)え誉(ほま)れは君のみ受けて
Kogensha News App (マーカーは筆者)
卑(いや)しみ十字架はわが身が負い行く
名もなく捨てられ喜び従(したが)う
名もなく捨てられ喜び従う
この聖歌31番の最後の一節「名もなく捨てられ喜び従う」というマインドは、(少なくとも日本人の)旧統一教会信者が美徳とし信仰のモットーとするところ。「たとえ信じた主(神≒教祖夫妻)に捨てられようと、ただ感謝し喜び従い行きます」という信仰心の表出です。1
そこに「為に生きる」「愛は与えて忘れなさい」といった奉仕の精神も強調され、その実践として行われるのが「み旨」(みむね)とよばれる教会活動です。
私自身は直接経験していないものの、この「選挙応援」も「み旨」の1つです。
元信者の方の手記「選挙応援の記憶」
実際に「み旨」として選挙支援活動を行った、元信者の方の文書が記事になっています。「選挙応援の記憶」とされる文書です。
一部引用させていただきます。
<日々前線で伝道か万物復帰なので、私は違うことをさせてもらい嬉しかった>
(2ページ目)山谷えり子元拉致問題担当相は否定でも 旧統一教会の元信者は「選挙カーに乗ってアナウンスした」 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)
<お父様(文鮮明氏/編集部:注)日本入国のために山谷さんにがんばって欲しいと思った。山谷さんは神様に相当期待されている人物>
(3ページ目)山谷えり子元拉致問題担当相は否定でも 旧統一教会の元信者は「選挙カーに乗ってアナウンスした」 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)
この文書(「心情日誌」でしょうか)を書いた方の気持ちが、私にはよく分かります。
「み旨」のために自身の全てを捧げ、見返りを求めない。とても清々しく、また恍惚感があります。私の一挙手一投足が「み旨」成就の為になると思うと、とても誇らしい気持ちになりました。私自身は選挙支援の活動経験はないものの、こうしたマインドをもって「み旨」とよばれる教団活動を行ってきました。
そして、たとえそれがうまくいかず結果が芳しくないものであっても、その理由や原因を考える前に「自身の意気込みや信仰が足りなかったからだ」と悔い改める。そして更に活動に没入する。
私は10年も前に離教しているとはいえ、今がそうではないとは思えないのですがどうでしょうか。
意図はどこにある?
ですから、今回のリーク記事には違和感を覚えました。
現状で家庭連合(旧統一教会)の信仰を保ち続けることができるのは「召されし身」に表れたような強固な信仰的マインドをもっていなければ、なかなか難しいでしょう。2そういう方が「あんなにやってあげたのに!」と考えること自体しっくりこないですし、まして独断でマスコミにリークするなんて……という思いはぬぐえないのです。
そうはいっても、今回は教団にとって未曾有の事態。私が信者時代に経験していない事態ですから批評することはできないかも知れません。こんな分析は、現役信者の方には失礼に当たってしまうかも。
それでも、長年にわたり、こうした信仰文化をもつ教会です。取材に応じた方3の独断として、こういう証言をするということも、どうしても私には考えにくいところがあります。
なぜ「今」なのか
それに、今回のような証言が出るなら、もっと早い段階であってもおかしくなかったのではないかと思います。たとえば2022年秋の「関係断絶宣言」の時や、盛山氏が文科大臣に就任した2023年9月頃とか……。
審問まで約半月というタイミングで出たことも、これまた絶妙なもののように思います。
おわりに: 惑わされず粛々とお願いします
盛山文科大臣の交代を求める声も出ていますが、現政権下においては、いくら大臣を交代したところで、また同様のスクープが出る等、結果は同じだと思います。事実として、この教団の関係者は、それほどまでに政治に浸透していると考えるべきです。
政権交代や民間大臣の登用等で、確実に教団や関係者と縁のない方が大臣になれる可能性があるのなら、それに越したことはありません。でもその可能性は考えにくい。であれば、現状ではこのまま盛山文科大臣に先頭に立っていただく以外、方法はないと私自身は考えています。
解散命令請求発出のコメント
そして盛山氏は文科大臣として、2023年10月12日に解散命令請求に関する歴史的なコメントを発出した方です。
この教団における被害の本質を射抜いたものであったと私自身は思っていますし、被害者や支援者からも概ね高い評価を受けているものです。
テキストはこちら↓
もちろんテキストを起草したのは盛山氏ご本人ではないでしょうけれど、盛山氏はこれを承認し文科大臣として発出されました。ある意味、政治生命を懸けるくらいのご覚悟かも知れません。
賽は投げられているのです。
実務にあたる職員の方を守って!
いずれにせよ、今回のスクープが解散命令請求の審議に影響を与えることがあってはいけないと私は考えます。
そして何より大切なのは、実務に当たる文化庁宗務課の職員の皆様が職務にあたる環境だと思います。過去の事例にあったような「忖度」や「圧力」等の余計な影響を受けず、公務員倫理規定に従い、法に則って公平公正に努めていただけるような環境が必要です。
それには大臣のご尽力のほか、国民の関心と監視は必須。「忘れてませんよ~ちゃんと見てますよ~」という姿勢を示し続けることは肝要ではないかと思います。
そして、適正な報道による監視も欠かせません。
そうした視点からも、注視は続けていきたいと思っています。